韓国人「ソウルの地名の35%が日本式…依然とした創氏改名の傷」「恥辱の歴史だ…」

58pt   2017-08-13 21:15
かんこく! 韓国の反応翻訳ブログ

ソウルの地名の35%が日本式…依然とした創氏改名の傷


【日帝残滓①】「ソウルの地名35%が日本式」依然とした創氏改名の傷

光復後「地名を取り戻す」事に乗り出したが、仁寺洞など日本式地名が散在
韓国地名学会「一日も早くいたるところに浸透した残滓清算しなければ」


光復72周年を迎えました。
日章旗が撤去されて全国に太極旗がはためいたその日から72年の月日が過ぎました。
私たちは日本の36年支配の間、韓国人の生活に浸透した日帝の残滓を清算するために努力しました。
しかし、抑圧されたその年月は決して短くない事が伺えます。
まだも全国各地の地名が日本式と呼ばれて日常の中の言い方に日本式の単語が混ざっています。
光復節を迎えて、不本意ながら、かすめて行った日本式残滓を教え、解決策を共に考える企画、2本を送稿します


(全国総合=連合ニュース)

「楽園洞で昼飯を食べて仁寺洞に行ってデートしよう。夜には東崇洞行って公演を見たらどう?」


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友達や恋人の間によく使うような提案に、考えられなかった民族の悲しい歴史が入り込んでいる。
1910年、朝鮮の国権を強制侵奪した日本帝国は国土の固有名称を日本式に変えるいわゆる「創地改名」を推進する。
よく知られた「創氏改名」と一緒に朝鮮民族の精神を抹殺して日本と同化させるための試みだった。
日本は「行政区画廃合整理」という名分によって、朝鮮の「郡」97、「面」1834、「里」「洞」34266の名前を消したり他の名称に変えた。
この蛮行に短くは数十年、長くは数百年間、根を下ろした多くの固有地名が歴史の中に消えた。
桃の木が多いとして付けられた「ボクサッゴル」なつめの木を模して建てた「デチュッマル」草が生い茂って呼ばれた「ソレ」「霜解釈」など純固有語で建てられた地名は抑圧された歳月の中に薄れていきた。
光復後、政府は消された韓国の国土の名前を取り戻すため、関連史料などを検討した。
その結果、日帝が韓半島がウサギの形に似ているという理由として慶尚北道浦項市南区一帯に付けたされジャンギガブ(長耳岬)を「虎のしっぽ」を意味するホミ岬(虎尾串)に変えるなど、独自の成果を収めた。

日本が勝手につけた行政区域「町」も「井戸を中心に、人々が集まった所」を意味する「洞」に変更した。


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朝鮮総督府が1912年に発刊した「地方行政区画名称一覧(写真左)」には中面・瓦洞と表記されているが、1914年、日本の創地改名後、1917年に発刊した「朝鮮の全図、郡・面・里・洞一覧」にはイルサンリ(一山里)と表記されて、一山(イルサン)が日本の植民地の地名であることを示している。



しかし、抑圧された36年の歳月の間、固まった地名を全て変えるには限界があった。
韓国地名学会によると、光復72周年を迎えた現在も創地改名の犠牲になったソウルでは地名の30%が日本式として使われている。
外国人観光客の必須コースの仁寺洞と、楽園洞、芸術街で有名な東崇洞など多くの地名が日帝残滓として残っている。
全国的にも多くの指名に日本式残滓が設置されていると推定されるが、まともな分析資料は見当たらないのが現実だ。



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京畿道加平郡は昨年11月「ハパン里」の地名を「ウンアク里」に変えて宣布式と表示石の除幕式を開いた。
ハパン里は1914年、日帝強占期の画一的な地名統廃合過程でハパン里、ジュンパン里、シンジュン里など3つの村を合わせて付与した地名だ。
3つの村はハパン里の下にある村なのでハパン里と名付けたようだ。



韓国地名学会は今でも、日本が勝手に名称を付けた区域を見つけ名前を取り戻す事が必要だと主張している。

韓国地名学会の名誉会長であるぺ・オリ氏は、「以前、私たちの先祖が名付けた地名を見ると、楽しい情感があふれた人の住む匂いがぷんぷんした」とし「解放されてから70年が過ぎて未だ私達の名前を取り戻さず和風地名で呼ばれるのを見れば、あまりにも残念だ。一日も早く名前を見つけてあちこちに染みこんだ和風残滓を清算することが必要だ」と強調した。



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国立公園管理公団は、日本が勝手に変えた第一の滝、第二の滝、第三の滝という名称を、周王山国立公園「滝壺、臼、龍淵」の名前を2013年に復元した。 写真は龍淵の滝(旧第三の滝)



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